教会生活


まずはじめに、このホームぺージのタイトル Welcome to our world の意味についてお話しします。ウェブページを検索すると、American English の子供向け教材や歌が出てきます。新しく産まれた赤ちゃんにお母さんが初めて言う言葉、「この世界へようこそ」と言う意味です。いわゆる梓みちよさん(最近、お亡くなりに なりましたが)の「こんにちは赤ちゃん」です。2番目はイエス・キリストが人の罪を贖うために、肉のかたちをとってこのように来てくだ さったという「クリスマスの歌」が出てきます。私がこのホームページに「ウェルカムトゥザワールド」と 名付けたのにはもう一つの意味があります。それはトップ画面の背景にあるように、現代の基礎物理学の物質観が1970年末から80年代に かけて標準模型と言われる理論によって完成したことに因んでいます。すなわち、物質をどんどん細かく分けていくとクオークとレプトンにた どり着き、これが現在物質の究極構造とされています。更に、現在知られている四つの基本的相互作用が、非可換ゲージ理論と呼ばれるものに よって統一的に理解される事が分かった事は大きな驚きでした。前世紀のはじめ、1930-40年頃、ロシアの天才物理学者レフ・ランダウ やその他の人達が予言したことが本当だったのです。これらの事は実験的には、欧州共同体のCERNの超大型加速器やその他の世界の超大型 加速器を使って実験室で超高エネルギー現象を実現することによって実証されました。そこで起きる原子核反応や素粒子反応は何ら特殊なもの ではなく、宇宙が形成されたときには普通に起きた現象であると考えられています。宇宙が138 ± 2億年前に突然できたと言うビックバン模型は、元来ロシアの原子核物理学者ジョージ・ガモフがはじめに言い出したのですが、現在いくつかの状況証拠に基づいてそれが正しい と信じられています。微視の世界の物質の究極構造は巨大な宇宙の構造と形成に、最終的にはつながると言う意味をトップページの背景は表し ています。(勉強部屋の「現代の物質観」の物質観-2 の項参照)

私の研究の究極的目標は、その御子を賜わった程に人類を愛して下さった全能の神が創られたこの世界を、よりよく知りたいという思いに尽 きる様な気がします。旧約聖書の最後にあるホセア書6章3節に、「わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう。主はあしたの 光のように必ず現れいで、冬の雨のように、わたしたちに臨み、春の雨のように地を潤される」・・・とあります。 神様の創られた世界はいかに絶妙に美しく、その法則は完璧に整合性がとれている事でしようか!この様な思いを皆様方と分かち合いたいと 思ったのが、このホームページを立ち上げた理由です。

クリスチャンホームに生まれておりながら、私の人生は常に苦渋に満ちた、いわば「先送りの人生」とも言うべきものでした。私は常に自分 の思いに忠実でありたいと願うあまりうまく行かないことが多く、「神様、何故?」という呟きの多い毎日を過ごしていました。挙句の果てに それより先に進めず、全てを先送りにして来たのです。第二の人生のきっかけとなった頸髄損傷の発症によって初めて、若い時に救いの喜びに 触れた『あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようになら ない前に、』(伝道の書12章1節)という御言葉を思い出しました。 身体の痛みや介護を受けなければ生きて行けない苦渋に苦しみながらも、パウロの様に「私の恵みは、あなたには充分である」という主の言葉 に慰められる毎日です。ここに軽井沢での教会生活の記録を残して、皆様方と恵みを分かち合いたいと思います。


軽井沢バイブルハウスに行くようになったきっかけ

ある日デイサービスの介護士のINさんから、「藤原さんはクリスチャンだから、奥さんが軽井沢バイブルハウスで毎月第3木曜日にやって いるケーキ教室に行くといいよ」と言われました。家内が誘われて行ってみると、ケーキ作りを教わった後ドイツ料理の昼食をご馳走になっ て、その後20分程の牧師先生の聖書のお話がありました。家内は大変感銘を受けて帰ってきました。また軽井沢バイブルハウスの集会は日曜 日の午後3時から行われており、私でもデイサービスに行った後家内が連れて行ってくれれば出席できることが分かりました。私たちは軽井沢 に移り住んで、毎週聖日を守れる新しい教会を探していたので、最初の集会でギュンター牧師の素晴らしいメッセージを聞いてすっかり虜にな りました。牧師の説教と言うとどうしても世間話や牧師の個人的な感想が中心になりやすいのですが、ギュンター牧師のメッセージは聖書の内 容を、付け加えもせず省きもしないで忠実に説き明かす心に響くものでした。その時以来、最近の新コロナウィルス感染による集会中止の時を 除いて、毎週集会に参加させていただいています。 また、車で1時間半かかる三才山病院に入退院を繰り返していた頃、若い時に録音されたというギュンター牧師と奥様の聖書朗読と素晴らしい 歌声のCDを繰り返し聴かせて頂きました。その後、現在パパさん、ママさんと呼んでいるステッカーさんご夫婦が第二次大戦後、 1953-4年頃来日してからドイツと同じく敗戦国であった日本を心から愛し、身も心も捧げて日本での福音宣教に尽くされたことを知り大 きな感銘を受けました。普通は日本に伝道に来る宣教師は、子供たちの教育は国際学校に入れたり本国に送ったりするのですが、彼らは完全に 日本に骨を埋める覚悟で、子供たちを日本で出産し日本で育てたのです。その結果、ギュンターさんたちは完全にバイリンガル、トリリンガル として日本のことを本当によく理解することのできる国際人として育ちました。私たちの両親や曾祖父たちが、海外のより進んだ文化に憧れる と同時に日本に来る宣教師たちとの間にある大きな文化的ギャップに葛藤した事を考えると、本当に頭の下がる思いがします。

昨年、2019年3月24日には、大阪方面に出ていかれるAKさんと近所のISさんとともに歓送迎会を開いて頂き、新しく軽井沢バイブ ルハウスの群れに加えていただきました。これはその時の写真です。私の左にいるのが家内、右側がISさん、その隣がAKさんです。前列右 がママさん、パパさん、最後尾の真ん中の背の高い人がギュンター牧師です。 残念ながら、その後ISさんはガンのため天に召されました。

歓送迎会 軽井沢バイブルハウス歓送迎会 2019年3月24日


歓送迎会の時の私と家内の証しとプレゼンファイルを以下に残しておきます。

証し (pdf file) (ppt file)

家内の証し (pdf file) (ppt file)

この写真は2018年9月24日、私の従兄弟である鎌野善三牧師とその奥様が見舞いに軽井沢を 訪れて下さった時の写真です。後列左が私の家内で、右側が長男の誠です。

従兄弟とともに 従兄弟とともに

新型コロナウィルスの影響で、3月からほぼ2ヶ月休んでいましたが、5月末から再び軽井沢バイブルハウスの集会が再開しました。1時からの礼拝と3時からの集会を統合し て、2時半から約1時間新しくできたホサナハウスでの集まりです。ここでは日曜礼拝とは聖餐式のことで、パン裂き礼拝と言われています。 礼拝には、女性は白か黒のレースの被り物を着けます。写真はホサナハウスの様子です。ギュンター牧師のメッセージはテサロニケ人への第一 の手紙からです。 (2020.5.29)

ホサナホームホサナホームのホールで

ホサナホームのホール

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ホール講壇の壁紙

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軽井沢バイブルハウスでの集会が休みの間、ドイツから1時帰国していた長男が手配してくれて、ミュンヘン日本語キリスト教会のズームによる日曜礼拝を守らせて頂きました。メッセージは安藤廣之先生のコロサイ人への第一の手紙でした。


2020年12月5日土曜日、パパさんが召されました。93歳でした。召天式は12月7日月曜日10時からハレルヤホームのホール(チャペル)で 執り行われました。パパさんの60年以上にわたる日本での働きは、主を愛し日本人を愛し抜かれた完全な勝利に満ちたものでした。ここに、 心からご冥福をお祈りするとともに、私たちもパパさんの強い信仰にならって御国にふさわしいものとして頂きたいと切にお祈りいたします。 下は、お亡くなりになる前にパパさんがドイツ語で後述し、長女のルツさんが日本語に訳された「主の恵みはとこしえまで」という自伝 の表紙と裏表紙の写真です。

パパさんの著作

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ママさんは12月12日、病院から自宅に戻られました。「パパさんは、天国から見守ってくださつているので私は大丈夫」とおっしゃっています。下は先に完成したママさんの証しの表紙と裏表紙の写真です。

ママさんの著作

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2021年1月10日日曜日、ママさんが召されました。94歳でした。召天式は1月11日月曜日10時からハレルヤホール(チャペル)で執り行われました。ギュンター牧師のメッセージは、ママさんの辿られた日本伝道の足取りを、その時々に与えられた聖句を綴って説き明かす感銘深いものでした。ルツ姉のご挨拶にもありましたが、何度も入院されてもそれを苦にもせず、救われた喜びを周りの人に輝きをもって伝え続けられた晩年の姿が瞼に浮かんできます。私たちもママさんに習って、周りの人に福音の素晴らしさを伝えられる者として頂きたいものです。