2014年2月11日の紀元節は、私にとって第二の人生の始まりとなりました。 約一か月後の定年退職を控えてその日は国内の小規模研究会のお世話を するべく、小さな京都黄檗駅のプラットホームに近づいた時、いつもは2、3分後に 来る電車が、既に目の前に来ていて、運転手が十数人の乗客を入り口に 誘導していました。 休日のダイヤで電車が、3分前に来ることをすっかり忘れていたのです。プラットフォームに上がるたった4段しかない階段の二段目で足を滑らせた時、突然前屈みにひっくり返って顔面を打撲し、 目の前が真っ白になり「足が、足が、、、」と倒れこんでしまいました。 「大丈夫ですか?今 すぐ救急車を呼びますからね。」という駅員さんの言葉を最後に気を失って、 気が付いた時は救急病院の集中治療室でした。顔面の外傷は3ヶ月程ですぐ治 りましたが、手術する必要がないと言われた頸髄損傷は、一生続く恐るべきものだとは、 約6ヶ月後に知りました。今でも首から下はしびれており、特に指 が殆ど動かないということは、人間的な生活の殆どを奪われるという結果となりました。 時々ハンマーで強打されたように感じる手足の突発性痙攣は、この 頸髄損傷という病気独特の痙性という症状であることを後で知りました。 尿や排泄の障害と肺活量の不足による痰の障害は今も続いています。初めの京都宇 治徳洲会病院、京都駅近くの十条武田リハビリテーション病院、 所沢の国立障害者リハビリテーションセンター病院、軽井沢病院を経て、 およそ4年前にここ軽井沢の家に引っ越してきました。 2015年の9月からは、木もれ陽の里をはじめ あちこちの施設にお世話になっています。 自分では何もできなくて、 多くの人のお世話にならざるを得ないことを心苦しく思っておりますが、 どの施設でも暖かく迎えて下さり、一人一人の利用者を大切にする介護職員の 皆様に頭が下がる思いがします。軽井沢の夏は涼しく、春の連休明けには家々の庭先に 色とりどりの花が綺麗に咲き乱れる素晴らしいところです。 これから 5回目の春を迎えようとしております。
このところ相模原での知的障害者殺害事件や暗いニュースがたくさん 報じられています。国際的にも英国のEU離脱やドイツの難民受け入れ問題、 アメリカにおけるトランプ大統領の選出等、自らの存在基盤を心配するあまり益々 他の人に対して不寛容になる風潮が強まっていることを思います。 また最近では、新型コロナウィルスのか感染が大きな社会問題になっています。 色々な立場で多彩な才能をもった皆様方が集まるこの軽井沢の地から、 お互いの立場を認め合い尊重し合う文化を世界に向けて発信できれば 素晴らしいと思います。(2017年12月、2020年3月修正加筆